医師が言った「手の切断」に生きる気力を失う
- mamoru segawa
- 4月12日
- 読了時間: 4分
メッセンジャーナースの活動の紹介です。医療総合媒体の日経メディカルで、連載「患者と医師の認識ギャップ考」を展開していました。日経BPの了承が得られましたので、シリーズで掲載していきます。
第5回は、宇佐見治美さん(メッセンジャーナース・認定協会特任研究員)の記事です。テーマは『医師が言った「手の切断」に生きる気力を失う』です。
医師が言った「手の切断」に生きる気力を失う
宇佐見治美(メッセンジャーナース・認定協会特任研究員)
2016/10/04
一人暮らしの女性、80歳代のAさんについて、ケアマネジャーから「両手の処置を自分で行っているが、悪くなっている。どうしたら。良いか?」と訪問看護ステーションに相談が入りました。すぐさま私は、Aさんに会いに行きました。潰瘍化して崩れた両手の処置は、歯を食い縛り、身をよじり相当の苦痛を伴うものでした。皮膚に水が当たると飛び上がり、せっけんの泡が触れている時も身をよじり、歯を食い縛って耐えている姿が印象的でした。
Aさんは「先生に、『自分の処置では悪くなっている。このまま続けても良くならなければ両手を切断することになるかもしれない』と言われた。そしたら、自分では何もできなくなるし、お父さんと暮らしたこの家で生活することもできない。色々考えても、どうしたら良いか分からなくて」と話してくれました。
医師からの説明を受けたAさんは、「手の切断」という言葉に大きなショックを受け、深い悲しみを抱き、生きる気力を失ってしまったようでした。
私はAさんの許可を得て、主治医に会いに行きました。先生は「(Aさんは)難治性の疾患で、処置を一生続けても良くならないかもしれない。独居のAさんに処置の継続は無理だし、両手を切断して施設で生活する道しかないかもしれない」と話されました。私は、Aさんの「お父さんと暮らしたこの家で生活することもできなくなる」という想いを伝え、訪問看護師が毎日処置にうかがえるように特別指示書を出してもらうよう依頼しました。いつまで続くか分からない中、指示書を書き続けることに、主治医は抵抗がある様子でした。切断を解決策と言っている主治医は、毎月特別指示書を書くことをナンセンスと思われたようでした。そこで、外来看護師から主治医に特別指示書に関して詳細を説明するという橋渡しを依頼し、初回指示書にこぎつけました。
訪問看護師は、処置手技の徹底を図り、創改善に向けての評価を繰り返しました。1カ月経過でわずかに改善の兆候が見えてきたころ、Aさんも「毎日、皆さんが頑張ってくれるから、私も治すために少しでも栄養を付けないと……」と話すようになりました。そして、訪問販売のヨーグルトを毎日食べるなど、生きる気力がわいてきたように思えました。主治医も「良くなってきた。訪問看護師はすごいね」と話してくれ、その後も指示書は継続されました。「手の切断」の選択肢も消えたようでした。
創の治癒に伴い、少しずつ手のリハビリも進んでいきました。何よりご本人が一生懸命で、「他にすることもないし」と手を良く動かしてくれたのです。6カ月経過したAさんは、創のある両手を洗って保湿クリームを塗りマッサージするという一連の処置を、自分で行えるようになり、訪問看護の回数も減少していきました。今では、時間を掛けながらも、洗濯、調理を始めています。
訪問看護の場面では、私の想像を超えた力強さとたくましさで自分達の生活を守っている方に多く出会います。Aさんも今は、自信に満ちて自分の生活を守っています。あの時、手を切断しなくて本当に良かった、人の生きる力はなんて強いのだろうと、嬉しくなった出来事でした。
手の創を通して、医療目線でAさんの生命を考えた医師と、住み慣れた思い入れのある自宅での生活を考えていたAさんとの間にあった意識のギャップ。Aさん自身は、その溝を自分で埋める術を知らず、悲しみの中に入り込んでしまいました。医療者に対し、自分の疑問や希望を冷静に伝えられる人は、まだ多くはありません。今回は、その橋渡しを訪問看護師が外来看護師とともに行うことができました。
私はこの事例を通して、医師の言われる通りに動くのではなく、患者のこころの風景を読み解き、今何が起こっているのかを患者自身が理解できるようにサポートすることの大切さを改めて感じました。また、メッセンジャーナースは、看護師としての考えを、時期を逃さず、必要なその時に、患者の代弁者として伝えることで、医師も救われるようにしなければならないと思いました。

■著者紹介宇佐見治美(うさみ はるみ)東京女子医大学病院に3年勤務後、系列外来クリニック2年勤務。結婚を機に栃木に住まいを移し2001年より訪問看護に携わる。現在、訪問看護ステーション副所長として勤務。14年、メッセンジャーナース研鑽セミナーに参加。翌年に認定を受け栃木県の仲間とともに活動をしている。現在の事業所には、2003年から勤務。同年には、ケアマネ資格を取り一時、兼務もしていた。
日経メディカル Online 2016年10月4日掲載
日経BPの了承を得て掲載しています
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